だがそうゆうところが楽しい

私が生きてきて
足を踏み入れたことのない
神聖という知らなかった領域を
スピリットは当然知っていて
肉体を持つこの私としての意識は
まだそこに到達してはいなくて、
先日のクラスで、レベルを上げていかなきゃならん
と感じておりました。
もともと、キリスト教徒から
オカルトノーレッジ(隠された智識)の世界へ入ってきた人は、
光のマスターの偉大さを知っていて
かなりの勢いで謙って(へりくだって)いて
なんかすごい、としか表現できない自分の幼稚さを痛感したりして
あ、偶像崇拝するとかそーゆーのではなくて

徐々に解るのだろうと思って、確かに徐々に知ったことは多いけれど
このわからなさはワーク時のパワーにかかってきて
でもここで気をつけなければならないのは
他と自分を比べることで
わたしの中に全てがあり、これは
忘れてはいけなかった。
あっ、あれですよ
あなたの世界はあなたの中にすべてがありますからね。
そーゆう。

映画をみる。

もうね
なにしろ、自分を愛しましょう!
あなたは素晴らしい!
わたしはなんて素晴らしいんだ!

その時に、聞こえてくる
卑下的なことは聞いてはダメです。
でもそれも自由です。聞きたいなら聞いて。
というか、あなたは(わたしは)一体誰の声を聞くのかと!!

どうして他人の声ばかり聞くのでしょう!

あれっタイトルで言いたかったことはこれではなかった笑
YouTubeでユタが紹介したパワースポットの映像をみていたんですが
それが映った瞬間、スマホを持っていた手から腕へ体幹部へと
ババババーと熱が伝わってきたんですよ。
そんなニューエイジ的なことで喜んで、と
つっこまれると思いつつも

”だが、そうゆうのが楽しい”

のでありました笑